ちーちゃんはちょっと足りない 大人だって足りない

世間は神奈川の件で持ちきりである。ニュースでは、政府も再発防止のための取り組みをすすめると書いてある。

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その中で”(2)自殺に関する不適切なサイトや書き込みへの対策強化”とSNSの書き込みについても触れられていて、今回の事件の渦中にあるtwitterではいろんなことがツイートされている。確かにSNSへの対策という一面は少し構えてしまう。

一方で、再発防止の取り組みとして一緒に上がっている"(3)インターネットで自殺願望を発信する若者の心のケア対策の充実"を見て、少し安心できた。今回の事件、どうしても猟奇的な事件や容疑者に注目してしまうが、同時に考えなければいけないのは、自殺願望の原因である。極端な話をすれば、自殺願望を持つ人がこの世に居なければ、今回の事件のようにはならなかったのでは、と考えてしまう。

少しでも多くの人が、思いとどまるようになる社会になったら、と願わずにはいられない。

さて、話は変わってメインテーマ。二日間の休みを、どう過ごそうか。金曜の夜に考えるのが大変楽しい。日曜の予定はなんとなく決まっているが、土曜がスカスカである。夕食を自炊にすれば予定は埋まるが、相変わらずの本末転倒である。

今日考えたことだが、「以前楽しめなかったことを、今楽しむ」という目標を持つだけで、随分違うのではないか。書いていてなかなか恥ずかしい。小さころに買ってもらえなかったおもちゃを、自分で買うようなものである。

ただ、子供の頃から持ち越しの夢は、だれでも持っていると思う。そしてそれが大人になってからの楽しみになると思う。

そのうちの一つが、マンガである。勉強以外で本などを見ることが少なかった自分にとって、マンガは「以前楽しめなかったこと」の一つである。ここ最近は、漫画喫茶へ行ってのんびりとマンガを読んで楽しんでいる。単行本を買うほどではないが気になるマンガをさらっと読んだり、買おうかと悩んでいるマンガを読んだり。

 

買おうか迷っていて、この日記を書きながら反芻(はんすう)しているのが、"ちーちゃんはちょっと足りない"である。

(ココにリンクを貼ろうかと思ったが、アフェブログっぽくなるのでやめた)

ちーちゃんこと千恵の感情は、短いセンテンスと豊かな表情で示される。明るい印象を受ける。物語の進行役、リードパートである。

一方で、ナツの感情は長いモノローグと独特の場面表示で示される。暗い印象を受ける。千恵がリードならナツはバックパートだろうかといえば、全く違う。作品全体はナツの見た世界である。作者独特の表現がふんだんに使われているのは、紛れもなくナツの描写である。焦燥時の黒塗りや、感情が揺さぶられた瞬間に起きる景色の歪み。題名に書かれていないが、紛れもなく主人公である。

主人公のナツは、自分に足りない物について、思い悩む。他人が持っているものを羨む。その感情は、中学生というか、子供特有であり、特に物語の大きな軸となる3000円や髪飾りを初めとした「お金の不足」は、子供特有と感じる。お金は、親など大人がコントロールする話なので、子供にとってはどうしようもなく自由が効かず、それゆえに子供にとってのお金は、大人が感じる以上に悩みの種なのかもしれない。作中で藤岡も「大人になったら自分でお金を使える」と千恵に話している。(諭している?)

ナツが足りないと感じているのは、お金だけではない。人間関係についても足りないと嘆く。その様子は旭と対照される。彼氏がいること、家族旅行をすること(≒父親がいること?家族円満なこと?)そして、藤岡達と友達になること。この「人間関係の不足」も、このスケールで言えば子供特有かもしれない。

ただ、「お金の不足」「人間関係の不足」の2つは、決して子供だけの問題ではなく、異なるスケールや形で、大人にも起こるもので、それ故にこのマンガを読んだ大人の中には、ナツに対して共感や同情したり、彼女を通して自分の身を振り返ったりする。それがこのマンガの深い所であり、醍醐味である。